ブラックラグーンのヘンゼルとグレーテルの過去は?双子の最後は死亡するのか解説!

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ブラックラグーンで人気の双子、ヘンゼルとグレーテル。

彼らの過去の生い立ちや、最後はどうなったのか?について説明します。

ヘンゼルとグレーテルはルーマニア出身

非合法な活動が行われる街、ロアナプラでは4つの犯罪組織が、脆弱な均衡を維持していました。

ある日、各組織のメンバーが殺害される事件が発生します。

しかし注目すべきことに、多くの死者が「ホテル・モスクワ」に関連していました。

この出来事により、ホテル・モスクワは犯人の追跡に奔走します。

 

そして、彼らが相手に「frate mai mare」(兄様・にいさま)および「sora mai mare」(姉様・ねえさま)と呼び合っていることが判明し、元商社マンのロックに単語の意味を尋ねます。

ロックはこれが「ルーマニア語ではないか?」と指摘し、その言葉に関する情報を提供します。

この情報に敏感なバラライカは「ルーマニア」という言葉に反応します。

 
人身取引の被害者の過去

その後、特定のビデオから「ヘンゼルとグレーテル」という名前で呼ばれる双子の特徴的な人物を発見します。

彼らは「チャウシェスクの落とし子」として孤児として育ち、取引の被害者としてビデオに出演させられていました。

同じ過酷な環境で成長し、双子同士で争うことを学んだ彼らは、殺人鬼として変質します。

この双子を雇い入れてロアナプラの犯罪勢力を操ろうとした犯罪組織も存在しましたが、彼らは制御不能と判断され、組織から排除しようとしました。

しかし逆に双子によって、組織のメンバーが虐殺されます。

双子は制約から解放され、単なる殺人鬼として振る舞い始めたのです。

 
最後はバラライカに襲撃され死亡

その後、復讐を掲げるバラライカによってヘンゼルは致命的な傷を負い、命を落とします。

同時にグレーテルは、ラグーン商会に逃亡の協力を求めます。

しかし、最終的に逃亡を支援するはずの男もバラライカに買収されており、港に到着するとすぐにグレーテルは銃撃されます。

こうして双子の殺人鬼は、静かに姿を消しました。

BLACKLAGOONの中で人気のある物語ですが、人間の悪意によって破壊された双子の悲劇の物語となります。

 

チャウシェスクの落とし子は実在する

この双子は実在しない人物ですが、「チャウシェスクの落とし子」は実在します。

それはルーマニアがたどる、悲惨な歴史の犠牲者たちです。

ルーマニアはかつて、「ルーマニア共和国」として存在していました。

第二次世界大戦後、ニコラエ・チャウシェスクが大統領となります。

そして、共和国でありながらソ連と違う方向を向いたため、「西側諸国」には歓迎されるという特異な状態でした。

 
中絶や離婚が法律で禁止されていた

またチャウシェスクは、国民の人口を増やすことが国力を増すことにつながると考え、中絶や離婚を禁止する法律を定めます。

この中絶を禁止したために、孤児として子供が捨てられるという状況が出てきたのです。

これらの子供たちは「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれました。

それがヘンゼルとグレーテルの、モデルとなった子供たちです。

 

その後、この政権は革命によって打ち倒されることになります。

ヘンゼルとグレーテルは、この革命によって孤児院からも追い出され、取引の対象として扱われたという設定になっています。

 
心身共に男女の区別を失っている

また実は彼らの性別は、明らかにされていません。

カツラを交換することで、どちらも「ヘンゼルとグレーテル」になることが出来ました。

それは酷い扱いを受け、心身共に男性女性の区別が失くなったためと思われます。

ですから、ヘンゼルが亡くなったことを聞いたグレーテルは悲しみませんでした。

私はグレーテルであり、ヘンゼルでもあるからと・・・

 

 八重歯と血の海はドラキュラをイメージ

Black Lagoonのエピソード「ヘンゼルとグレーテル」では、何度も「八重歯」が目立つ表現が見受けられます。

これはおそらく、ドラキュラに言及しているものと考えられます。

ドラキュラは実在のルーマニアの君主である「ヴラド3世」に由来しています。

ヴラド3世の父、ヴラド2世は「竜公」を意味する「ドラクル」であり、その子供は「ドラキュラ」と呼ばれるようになりました。

彼の統治は冷酷で、一般的には使用されなかった「串刺し刑」を貴族にも適用しました。

この残忍さが彼を「串刺し公」として知らしめ、後に「ドラキュラ」という名前がヴァンパイアと結びつくことになります。

彼らが「多くの命を奪うことで永遠に生き続ける」と主張したことは、現代のドラキュラが血を吸い続けて命を維持することと関連があるかもしれません。

 

また、彼らがバラライカの部下を拉致し、死後も頭に釘を打つ行為は、ヴラド3世に起源を持つと思われます。

ある時、オスマン帝国からの使者がヴラド3世に謁見する際、帽子を取らないで訪れました。

なぜ帽子を取らないのかと問われた使者は、トルコの習慣だと答えました。

ヴラドはその習慣を尊重し、使者の頭を帽子ごと釘で留めたという逸話が伝えられています。