ここでは黙示録の四騎士のキーパーン、ナシエンスに焦点を当ててご紹介します。
ナシエンスは自ら毒を体内に取り込むことで、それに対抗する抗体を生成し、同様の毒を生み出す特殊能力を持つことで知られています。
外見上は男性と見間違えられがちですが、実際には女性ではないか?という憶測が流れています。
加えて、彼女の出生や親に関しては明らかになっておらず、その謎は他の主要人物と比較しても特に深いものがあります。
そうした背景から、ナシエンスの性別や正体。
そして彼女の両親について、探求と考察を深めていきます。
ナシエンスの実際の性別は女性?
ナシエンスの性別が、実際に女性であるか否かについて掘り下げてみましょう。
「無煙の場所に火は存在しない」
このことわざ通り、ナシエンスの性別に関する秘密が隠されている可能性があります。
さっそく、この点について詳細を見ていきましょう。
外見は男性だが実際は女性
私は、ナシエンスが見た目は男性だが「実際には女性である」という仮説を立てます。
外見からは男性と判断されがちですが、どのような理由で女性であるとされるのでしょうか?
ここからは、その仮説に至る根拠や材料を、幾つか紹介しつつ探っていきます。
性別を意図的にぼかしている
ナシエンスが男性キャラクターとして描かれているものの、彼の外見や行動には顕著な女性らしさが見られます。
一見男性に見えるものの、よく観察すると女性の特徴が見て取れるのです。
作中での鈴木先生の描写からは、ナシエンスの性別が故意に曖昧にされているように思えます。
これは読者にナシエンスの性別を、自由に想像させるためかもしれません。
特に性転換する効果のある毒を摂取しても、ナシエンスに変化が見られなかった点は、性別に関するヒントとして捉えられます。
鈴木先生がナシエンスを通じて、性別の境界を意図的にぼかしている可能性があります。
女性を隠すための「俺」
ナシエンスが自称する「俺」という一人称は、彼が女性であることを隠そうとする意図を示唆しているかもしれません。
これは『七つの大罪』のジェリコが、男性を自称していた点と類似しています。
ジェリコもまた、本心では男性になりたかったという背景があります。
お風呂でのエピソード
ナシエンスも同様の心情を抱えている可能性があります。
女性らしい行動としては、お風呂のエピソードが象徴的です。
ナシエンスがパーシバルとドニーと、一緒に風呂に入らなかったこと。
そしてパーシバルがナシエンスの裸を見た時の彼女の反応は、彼女が女性であることを強く示唆しています。
一般的に同性間では、お風呂に一緒に入ることに躊躇は少ないはずです。
しかしナシエンスの反応からは、男性に見られたくない身体の部分があると推測されます。
これらの行動から、ナシエンスが女性である可能性は一層高まります。
パーシバルへの特別な感情
ナシエンスがパーシバルに対して、特別な感情を持っているという見方も存在します。
実際にパーシバルの前では、何度も顔を赤らめるシーンが描かれており、これはナシエンスがパーシバルに特別な感情を抱いていることを示唆しています。
一方で、ナシエンスがこれまで真の友達を持ったことがなく、パーシバルとの関係に戸惑っているだけかもしれません。
しかしながら、パーシバルに対してナシエンスが何らかの特別な感情を持っていることは明らかです。
ナシエンスの出生と両親の謎
ナシエンスの性別に関する推理を深めた後、ここでは彼女の出生、特に「誰の子であり、両親は誰であるか」という謎に焦点を当てます。
この問いに答えを出すため、様々な手がかりを探求していきましょう。
出生は未だ謎に包まれている
ナシエンスの正確な生まれは、現在までに明らかにされていない重大な謎の一つです。
物語の中でナシエンスは、木霊の谷で見つけられたことが知られています。
彼女はそこで捨てられており、偶然にもオルドによって発見されたのです。
オルドが彼女を拾った後、彼女の面倒を見ることになりましたが、彼女が具体的に誰の子なのか?
そしてその両親が誰であるかについての情報は、これまでのところ明かされていません。
ナシエンスの出生に関する情報が少ない中、彼女がどのような経緯で木霊の谷にたどり着いたのか?
その背景には何があるのかについては、引き続き様々な推測がなされています。
このように、ナシエンスの出自と両親に関する真実は、物語を追う上での重要な謎の一つとなっており、今後の展開が待たれます。
キングとディアンヌの子ではない
ネット上では、ナシエンスがキングとディアンヌの子ではないか?という説が流れていることは確かです。
これは、『黙示録の四騎士』が前作『七つの大罪』の続編の性質を持ち、多くのキャラクターが前作の主要キャラクターの子供である、という事実に基づいています。
バンとエレインの息子であるランスロットや、メリオダスとエリザベスの息子であるトリスタンのように、『七つの大罪』のキャラクターの子供たちが登場するため、この仮説は一見すると説得力を持っています。
しかしながら、ナシエンスがキングとディアンヌの子供であるという仮説には、いくつかの疑問点が存在します。
まず、『七つの大罪』の最終回でキングとディアンヌの間に子供がいることが明らかになったにもかかわらず、ナシエンスがその子供であるという明確な証拠はありません。
さらに、ナシエンスが捨てられていたという事実は、キングやディアンヌが自分の子供を捨てるという行為に反しています。
キングやディアンヌの性格を考えると、彼らが子供を捨てるという選択をする可能性は極めて低いでしょう。
加えて、もしナシエンスがキングとディアンヌの子供であれば、妖精族や巨人族の特徴を何らかの形で受け継いでいる可能性が高いです。
例えば、ランスロットが妖精族の能力を持つように、ナシエンスにも妖精族や巨人族の特徴が現れるはずです。
しかし、ナシエンスにはそのような特徴が見られないため、キングとディアンヌの子供である可能性は低いと考えられます。
両親は七つの大罪の関連人物
それでも、ナシエンスの両親が『七つの大罪』のメンバー、またはそれに関連する人物であることはほぼ間違いないでしょう。
ナシエンスの背後には直接的なつながりではなく、もしかすると友人や知人、あるいはそれらの関係者の子供である可能性があります。
ナシエンスが捨てられていた背景には、何らかの深い事情が存在するかもしれません。
その事情が、彼らがやむを得ずナシエンスを手放すことになった理由である可能性があります。
また、ナシエンスの両親が『七つの大罪』のメンバーと敵対関係にあった、という可能性も考えられます。
このような複雑な背景がナシエンスの出生と関連しているかもしれず、今後の展開で明らかにされることが期待されます。
この点についての考察は、ナシエンスのキャラクターに更なる深みを加え、物語の謎を解き明かす鍵となり得ます。
まとめ:アイデンティティや家族の絆への再考
作中で展開されるナシエンスの性別や生まれに関する謎は、読者に対していくつものメッセージを投げかけています。
作者はナシエンスを通じて、性別の境界のあいまいさや家族とは何か?
そして出生が個人の運命にどのように影響を及ぼすのか?といったテーマを探究しているようです。
ナシエンスの性別に関する議論は、外見だけで人を判断しないこと。
また、一人一人が持つ内面の多様性を認識することの重要性を示唆しています。
性別のあいまいさが、ナシエンスのキャラクターに深みを与え、読者に対して性の多様性について考える機会を与えているのです。
一方で、ナシエンスの出自にまつわる謎は、家族の定義とは何か?
血縁だけが、家族を形成する唯一の要素なのか?という問いを提起しています。
ナシエンスが捨てられた背景にある事情や、彼女がどのような人物によって育てられたのかという点は、血縁以外の絆の強さや、家族を形成するさまざまな形を読者に示しているように思われます。
また、ナシエンスの両親についての仮説や憶測は、前作『七つの大罪』のキャラクターたちとの繋がりを示唆することで、物語世界の連続性を強調し、新旧ファンをつなぐ橋渡しの役割を果たしています。
しかし、ナシエンスがキングとディアンヌの子供でない可能性が示されることで、物語に新たな謎や予測不能な展開が生まれ、読者の興味や好奇心を刺激しています。
結局のところ、作者が読者に伝えたいのは、個人のアイデンティティや家族の絆に関する従来の概念に疑問を投げかけ、それらを再考することの大切さかもしれません。
ナシエンスの物語を通じて、読者は自分自身や周囲の人々をより深く理解し、受け入れることの重要性に気づかされるのです。