【鬼滅の刃】には、十二鬼月と称される鬼の集団が登場します。
彼らは下弦・上弦と分類され、その地位に応じて強さが異なります。
そして十二鬼月には各6体の鬼が属しており、その中の一人が「累」です。
累は下弦の伍に位置づけられており、十二鬼月の中では比較的低い地位ですが、彼の個性は非常に人気があります。
この記事では、下弦の伍・累に焦点を当てて解説します。
この記事で理解できる内容
・累の過去と最期について
・鬼と化した理由について
累の過去や最後のエピソードについて
「炭治郎立志編」の舞台となるのは那田蜘蛛山(なたぐもやま)で、ここで炭治郎は鬼たちと戦います。
この山の主として君臨するのが累で、彼は炭治郎にとって非常に手強い相手でした。
…戦いの末、累は敗れ去ります。
そして、累の最期に展開されるエピソードが、彼の人気をさらに高めることになります。
累の過去には、一体何があったのでしょうか?
以下、そのエピソードの詳細をお届けします。
愛情を知らない家庭環境で育つ
累が人間であった頃、彼は常に両親の愛情に疑念を抱いていました。
「本当の親とはどうあるべきか?」という問いを常に考えていたのです。
ある時、累は悲劇的な家族の話を耳にします。
その話では、子どもが川で溺れてしまい、父親が救出に成功するも自らは命を落としてしまうというものでした。
累はその父親を「理想の親」として高く評価します。
しかし累自身の家庭環境は、全く異なっていました。
鬼になり両親を殺害してしまう
鬼に変貌してからは、人間を食べる自分を悲しみ、最終的には父親によって殺されかけます。
この状況で激怒した累は反撃し、父親を殺害してしまいます。
その勢いで、母親の命も奪ってしまいました。
「なぜ親であるにも関わらず、自分を殺そうとするのか?」という疑問が、彼を苛(さいな)みます。
家族や親への執着が深まる
真相を探る中で、父親が最後に残した言葉の真意を理解し始めます。
父親は鬼となった累を殺すことで、共に死を迎えようとしていたのです。
母親は最後に「ごめんね」と言い残し、この世を去ります。
これにより累は、家族や親という存在についての真実を追求し始め、家族愛への執着が一層深まるのです。
仮想の家族を作り生活をする
累は過去の孤独感から抜け出せずにいましたが、強い「家族」への渇望を持っていました。
そのため攻撃した人間を殺さずに、代わりに家族として迎え入れることを誓わせます。
次第に「家族」は増え、父や母、兄や姉といった役割を割り当て、仮想の家庭を形成します。
累自身は最年少の子として、家族の愛情を一身に受ける位置にいました。
このようにして、彼は家族愛が何であるかを探求していましたが、この偽の家庭生活は不自然さが際立ち、長続きはしませんでした。
死の間際に初めて人の温もり感じる
激しい戦いを繰り広げる中、累は炭治郎に対して十二鬼月の実力を見せつけます。
そして最終的には、水柱・冨岡義勇と対峙。
「義勇 VS 累」の戦いが始まり、柱である義勇の圧倒的な力の前に、累は瞬く間に追い込まれ、最終的には斬首されます。
死の間際、累は「真の家族」も「偽りの家族」も、どちらからも真の愛情を得られなかったことに苦しみます。
累の身体は、まるで温もりを求めるかのように自動的に動き、見えない中で不思議と炭治郎の前に倒れ込みます。
炭治郎は累から「悲しいにおい」を感じ取り、彼にそっと手を置きます。
それが累にとって初めての人の温もりであり、彼はその感触を持って静かに消え去って行ったのです。
鬼となった理由は病気からの開放
ここまでは、累の過去に焦点を当てて解説してきましたが、一体なぜ彼は鬼になったのでしょうか?
その理由の一端には、累が生まれ持った身体の弱さがあります。
以下、その背景について詳しくご説明します。
生まれつき極端な虚弱体質だった
累は生まれつき非常に体が弱く、ほとんど体力がありません。
彼の両親は累の健康を心配し、家の中に留まるよう厳しく制限します。
それでも累は外の世界に憧れを持ち、時折、無理をして外出しようと試みました。
ある冬の日、外で他の子供たちが雪合戦を楽しんでいるのを見て、累も参加したいと思い立ちます。
しかし、彼の体はそれを許さず、歩を進めるうちに息切れしてしまい、ついには力尽きて倒れてしまいます。
母親が急いで駆けつけ、何とか大事には至らなかったものの、この出来事は累の身体的限界を如実に示していました。
このように、累は人間時代から重度の虚弱体質を抱えており、日常生活にも支障をきたすほどでした。
無惨のひと言で鬼になる決意をする
累の極端な虚弱体質は、鬼の王である鬼舞辻無惨の目に留まります。
無惨の「かわいそうに」という言葉から始まったその出会いが、累を鬼へと転生させる決定的な瞬間になったのです。
鬼になることの詳細な経緯は描かれていませんが、累が鬼となった背後には、その病気からの解放願望がありました。
鬼となることには、多くのデメリットが存在しますが、
「日光に触れることができない」
「人間を喰らう必要がある」
などというリスクも、累にとっては元気に活動できるというメリットを超えていました。
累にとっては、「健康に外を歩きたい」「自由に走り回りたい」という願望が、どんなデメリットよりも重要でした。
この選択から彼の運命が暗転し、鬼としての道を歩むことになります。
この新たな身体と力を持つことで、父親との悲劇的な対立や母親の後悔する言葉に至る、序章のエピソードへと続くのです。
まとめ:本物の愛がいかに重要かを強調している
まとめ
・下弦の伍「累」は愛情を知らない家庭で育つ。
・擬似的な家族を作り、家族ごっこをしていた。
・人間の温もりを初めて知った、悲しい最期だった。
・生まれつき非常に虚弱で、日常生活にも影響を受けていた。
・病気から逃れるために鬼へと変貌した。
累の心の中では、家族愛が何よりも重要でした。
炭治郎に「偽物だ」と言われた時の彼の激しい反応は、自身の中で家族の絆がどれほど深く根付いていたかを物語っています。
累の「お前今、何て言ったの?」という言葉からは、まるで本当の家族を侮辱されたかのような怒りが感じられます。
累の物語は、彼がどれほど「家族の絆」を重んじていたかを浮き彫りにします。
累の物語を通じて、人間としての弱さや痛み、そしてそれに対する渇望が深く掘り下げられています。
累の人間としての弱体性が彼を鬼へと駆り立てたのは、単なる生存のためだけではなく、普通の人間としての生活を喪失する、恐怖から逃れるためでもあります。
鬼滅の刃では累のストーリーを通して、家族の概念とその中での個々の役割が、どのように個人の行動や選択に影響を与えるかを描いています。
累が造り上げた擬似家族は、彼の深い孤独感と家族という存在への強い渇望を反映しています。
この偽りの家族構成が次第に破綻していく様は、本物の愛や絆がいかに重要であるかを強調しているのです。
また、彼の悲劇的な最後は、真の家族愛というものを得られずに終わることで、読者に対して愛情の真価とは何か?
愛情の欠如が、どのように人間を破滅へと導くか?
それがいかにして人の行動を形作るか?という問いを投げかけます。
そしてその逆もまた真なることを、累の人生と彼の選択から教訓として読み取ることができるでしょう。
これらの教訓は、読者自身の人生においても重要な意味を持ち得るため、物語はただのエンターテインメントを超え、より深い共感や反省を促す作品となっています。