「キングダム」の世界には、友人、兄弟、家族、そして一族の各々が異なる背景を持ちながら活躍しています。
秦という舞台上で、個々が独自の役割を果たしますが、中でも特に注目されるのは蒙一族です。
この家族は3代にわたり、4人のメンバーがそれぞれの領域で著しい成果を上げています。
本記事では、蒙一族のメンバーを詳しくご紹介します。
蒙一族の4人のキャラクターを解説!
蒙一族からは、4人の主要なキャラクターが物語に登場します。
・蒙驁(もうごう) 大将軍
・蒙武(もうぶ) 大将軍
・蒙恬(もうてん) 楽華隊隊長
・蒙毅(もうき)文官
三代にわたって名を馳せる蒙一族の中でも、特に記憶に新しいのは蒙恬ではないでしょうか。
その理由は主人公・信の友人であり、競争相手であるキャラクターだからです。
蒙恬については覚えやすいですが、蒙驁、蒙武、蒙毅の三者三様の魅力も掘り下げてみたいですね。
以下、この「蒙一族」について詳しく解説していきます。
蒙驁は白老と呼ばれる遅咲きの将軍
蒙驁は秦国だけでなく、他国の人々からも「白老(はくろう)」と称されています。
彼には特別、顕著な戦略や武勇があったわけではなく、一般的な将軍と見なされがちです。
蒙驁は長らく目立たない存在であり、様々な国を渡り歩きながら昇進を目指していました。
秦で遂にその才能が認められた時、すでに白髪を生やした老兵であり、その姿が「白老」という名前の由来となります。
通常、名将と呼ばれる者は、若い時からその才能を発揮することが多いですが、蒙驁はまさに遅咲きの典型でした。
王翦と桓騎が蒙驁を支えた
蒙驁が「百戦錬磨の大将軍」と称される背景には、彼の2人の副将「王翦(おうせん)」と「桓騎(かんき)」の影響が大きいです。
王翦と桓騎は、秦国の六大将軍に匹敵する実力を持つ軍人。
彼らが蒙驁の配下で戦場に立った理由は、それぞれに特殊な事情があったからです。
王翦は独自の野望を持ち、秦にいながら独立した勢力を築くことを夢見ています。
桓騎は元山賊の出身で、その戦術が非常に残忍だったため問題視されていました。
これらの問題ある人物を、まとめ上げることができる将軍は少なかったのですが、蒙驁はその才能を持っていました。
王翦と桓騎の能力を最大限に活用し、蒙驁は多くの戦いで勝利を収めたのです。
宿敵の廉頗と対峙する
蒙驁は総大将として、山陽地区で魏国の廉頗と対峙します。
廉頗は元々、趙国の三大天の一人として中華全土に、その名を轟かせる豪傑です。
蒙驁と廉頗は過去にも何度か対戦しており、その都度、廉頗に敗れていた過去があります。
これまで一度も勝利できなかった相手に対して、地の利を活かし、廉頗軍の戦力を徐々に削ぎ落としていきます。
特に王翦と桓騎の2人の副将が活躍し、両翼での戦いで大きな成果を挙げました。
左腕を失うも勝利する
最終的に廉頗が、自ら秦の本陣に突入する局面に至ります。
廉頗は蒙驁との一騎打ちを挑むものの、蒙驁は必死に抵抗しますが、廉頗の武術の前には敵わず、左腕を切り落とされてしまいます。
蒙驁は一騎打ちに敗れるものの、その間に桓騎軍が魏軍の総大将・白亀西を討ち取り、山陽戦は秦軍の手に勝利が渡りました。
この戦いでの勝因は、主人公・信が輪虎を討ち取った功績や、2人の副将の活躍が大きいです。
しかし、蒙驁が廉頗に臆せず立ち向かった勇気も、大きな勝利の要因と言えます。
蒙武と蒙恬の蒙驁への絶対的な信頼
斉出身の蒙驁は武の才に恵まれず、息子の蒙武と共に多くの国を渡り歩き、最終的に秦に落ち着きました。
蒙武は武将として格上げを遂げ、「人を見る目は天下一」と父・蒙驁を高く評価し、深い信頼を寄せています。
蒙恬は自由な環境で育てられたことに感謝し、祖父・蒙驁を心から敬愛しています。
名家では通常、英才教育が行われることが多い中、蒙驁は蒙恬に対して束縛を加えることはありませんでした。
山陽戦での「蒙驁を絶対に守り抜く」という蒙恬の知略の振るい方は、特に印象的です。
蒙武は自信過剰で勇猛果敢
呂氏の支柱の一人として、「武」の柱とされる蒙武は、呂不韋によって重用されました。
蒙武は生粋の戦士であり、国の式典などには興味を示さず、戦場での活躍を通じて自己の価値を証明するタイプの人物です。
彼の武力は申し分ないものがありましたが、王騎の死を経験するまでは「自己の力が絶対」という過信があり、将軍としてはまだ成長途中でした。
蒙武は王騎の遺志を継いだ
馬陽防衛戦において、蒙武軍は戦略の裏目により絶体絶命の窮地に追い込まれます。
戦闘結果は思うようにならず、状況は非常に不利になりました。
その過程で、六代将軍の最後の一人、王騎が敵の策略によって討ち取られてしまいます。
王騎は死の間際に、「秦国軍の顔になるべき人」としての責任と、挑戦の克服を蒙武に託します。
以前は王騎の言葉を軽視していた蒙武も、この言葉に深く心を動かされます。
その後の蒙武は、武力だけでなく知略においても成長を遂げ、秦の大将軍としての地位を確立しました。
蒙武は中華最強の汗明を倒した
中華最強を自称する二人の戦士が、函谷関で激突します。
この戦いでは、双方が大錘という重武器を使用し、激しい打ち合いと共に互いに血を流しました。
激闘の末、蒙武は楚の総大将・汗明を倒し、戦場から勝利を収めます。
汗明という、中華最強と謳われる相手を討ち取ったことにより、蒙武はその名を全中華に轟かせることとなりました。
その功績が認められ、後に秦国王宮での大将軍への任命が決定します。
蒙恬は楽華隊の隊長で有能
蒙家の嫡男である蒙恬は、独立遊軍の百人隊「楽華隊」の隊長として、戦場へと足を踏み入れます。
幼い頃から武術と知識に優れており、軍師学校の昌平君にも認められるほどの才能を持ち、裁判官の資格も取得しているほどです。
彼は飛信隊の信、玉鳳隊の王賁と共に、若き世代の中でも特に突出した存在として知られています。
特に楽華隊は、他のどの軍にもその実力を認められ、一歩前を行く部隊としての地位を確立しています。
さらに蒙恬への忠誠心が隊内からも厚く、彼の人望も非常に高いです。
蒙恬は祖父を守るため輪虎を討つ
蒙驁が山陽平定戦で、魏の廉頗軍に勝利を収めた際、蒙恬も重要な役割を担いました。
この戦いで、蒙恬は中央の強敵である輪虎を討つため、信と王賁と共に戦略を練ります。
通常は軽快な態度の蒙恬ですが、この時は祖父・蒙驁の命がかかっていたため、深く知略を練り、真剣そのものです。
さらに、敵陣に先鋒として突入する際には、その知略と共に武力も発揮し、目覚ましい活躍を見せました。
彼ら楽華隊の作戦は、飛信隊と玉鳳隊を輪虎の本陣近くへと進めることで、本陣を撹乱させることです。
しかし、結果的に輪虎を倒すには至りませんでした。
蒙恬は信と王賁との緩衝役
信と王賁は、初めて会ったときから反目し合っていました。
しかし、これは彼らがライバルであり、協調性に欠ける性格のため、衝突が避けられなかったからです。
しかし、蒙恬がこの二人の間に入ることで、彼らの間の緩衝材として機能し、対立を円滑に解決する役割を果たしています。
蒙恬は戦場外での活躍に加え、戦場で信の暴走を抑えたり、王賁と戦略を練るなどして、時には三隊をまとめ上げる重要な役割を担っていました。
蒙毅は武官ではなく文官の道を選ぶ
蒙毅は蒙恬の弟です。
祖父・蒙驁、父・蒙武、兄・蒙恬とは異なり、武官の道を選ばず文官としての道を歩みます。
父・蒙武を支えるために文官の職を選び、兄・蒙恬が卒業した昌平君の軍師学校で軍略を学んだのです。
蒙驁や蒙武が、男らしい外見をしているのに対し、蒙恬と蒙毅はやや中性的な外見と声が特徴です。
王宮で初めて登場した際には、その性別が判別しにくいほどでした。
河了貂に兵法や心得を伝授する
蒙毅は王宮内で偶然、河了貂と出会います。
そして彼女に、兵法の基礎と軍師としての心構えを教えることになりました。
この二人は馬陽戦を共に観戦し、その場で戦術や戦略について深い話を交わします。
当時、河了貂はまだ軍師学校に通っておらず、戦略に関する知識がほとんどありません。
蒙毅は、彼女が未経験ながらも戦場の実情を理解できるように、具体的な戦術や軍師としての思考法を丁寧に解説しました。
河了貂は後に戦略に悩む度に、昌平君や蒙毅から学んだ教えを思い出し、それが大きな支えとなっています。
蒙毅はその影響力から見ても、河了貂の兄弟子と呼ぶに相応しい存在です。
軍略囲碁は強いが実戦は未熟
軍師学校での模擬戦では、囲碁を模した「軍略囲碁」という手法が用いられます。
この方法は囲碁の盤上で、戦略を競い合うことで知られています。
蒙毅は軍師学校でトップクラスの成績を収めており、本営の軍略会議にも参加するほどの能力を持っています。
しかし、実際の戦場での経験は極めて浅く、ほとんど前線に出たことがありません。
河了貂の兄弟子として知略を教える一方で、実戦での能力では河了貂が上手と言えます。
まとめ
親子三代に渡り、武将・文官として秦国軍を支える蒙一族。
大将軍に任命された蒙武、次世代を担う楽華隊隊長の蒙恬、そして本営で総司令を支える蒙毅など、秦国軍にとって欠かせない存在です。
彼らの活躍により、秦国軍の戦力は大いに強化されており、史実にも名を連ねる「蒙恬」と「信」の共闘など、史実とフィクションが絶妙に絡み合う点が魅力です。
今後も蒙一族の活躍に期待しましょう!